愛って何だ!ふりむかないことさ!

こちら(Judge様のはてなダイアリー「Judgeの華麗なるエロゲ生活」)を見て
何故か突然「愛」について思うことをつれずれ。
主としてこちらに付けさせていただいたコメントの続きですので、
そちらもご参考までにどうぞ。


愛のベースにあるのは理性なのか?本能なのか?
確かに「理性」というものに準拠していないと「不安」はあると思います。
ただ、(まぁ、これは個人的考えですが)、理性、と言うより知性そのものは、
人が生物として生き残る為に必要な「種としての多様性」を得る為の
「生存本能」の延長線上で獲得した生物学的特徴なのかな、と。


そういう意味では、上で書いたように理性が本能の一端である一方、
逆に本能も知性の中に無意識にでも組み込まれているのかと。
なので、そういった不安をコミで愛せるかってことなのでしょう。

宇宙人だろうが蛙だろうが二次元創作物だろうが、それに見合うモノがあれば愛して当然
(上記リンクJudge様コメント欄より)

キリスト教徒の作家曽野綾子氏のエッセーに
「アナタがその人のことを愛しているということは、
 アナタがその人の為に死ねるかということとである」
と言うような趣旨のエッセーがありましたが、
それはあくまで神の愛(アガペー)としての愛であり、
我々人間は奉仕活動や愛にさえ対価を求めがちですとも述べています。


それが生物学的なものにしろ(子孫を残すことが出来る本能)
精神的なものにしろ(いっしょにいることの充実感など)、
対価を求めているという点では等価なのかな、とも思いますし、
その意味で言うならばよりアガペーに近いのは
非人間に対する愛と言うことになるのでしょうか(笑)


こういったものに対して純粋な愛を持つならば、
それはすなわち「生物」としての「死」に等しいですから。
(生物の二大原則を否定しているという意味で)


しかし、結局のところ、精神的な、あるいは生物学的に生殖の対象外という
相手(二次元人から異星人まで)との愛も結局は脳の化学反応による
「快」という反応によるものだとしたら(というか間違いなくそうであるのですから)、
やっぱり本能の愛(肉欲の愛)と結局のところは等価なのでしょう。
脳への入力が違っても(肉体的か精神的か)、アウトプットとして与えられる
脳への快楽は結局のところ同じなのですから……。


感情や知性そのものが化学反応と電気信号の結果に過ぎないとしても、
いや、それだからこそ私たちはそれに依存していることを認めたうえで
自分の感情や理性と向き合わなければならない――。
エロゲーではそのことに言及している作品は空く無いですが、
Sense Off」や「未来にキスを」といった作品で語られるのは
恋愛と言うものは形のない感情やこころ以前に、それも含めて前提となる
「脳」がするものだということを出してきている部分もあると思います。


と、まぁ長々と書いてきていますが、個人的にはいつも結局のところ、
だから……と言うわけでも無いですが「人を愛するのに理由は要らぬ」
と言う感じでしか自分の恋愛を分析できない私は、
いまだ本能に支配された人間なのでしょうね。
ただ、それを胸を張って「人間の証明の一環である」とは言いたいですが。